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岐阜地方裁判所 昭和44年(わ)185号 判決

被告人 八神信司

昭一二・一・三生 建設会社社長

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実は「被告人は株式会社八神建設の代表取締役であるが同社が常川建一から岐阜市西玉宮町一丁目一〇番地の同人所有地に鉄筋コンクリート四階建の建築工事を請負い、昭和四三年一一月二三日ごろ工事に着手したが、右土地の北側に隣接する同市西玉宮町一丁目九番地に長瀬一行所有の木造瓦葺二階建工場があり、同建物の南側庇が境界線を越えて常川所有地にはみだしており建築工事の支障となつたことから、そのはみだし部分を切りとろうと企て、昭和四四年一月八日午後四時ごろ、情を知らない従業員の兼松浩、堀場武の両名に命じて右長瀬所有建物の南側庇の花瓦を取り外して垂木二五本の先端を約一〇センチメートルそれぞれ切り取らせ、以て建造物を損壊したものである。」というのである。

二、証人長瀬一行の当公判廷における供述(中略)を総合すれば右公訴事実が認められる。弁護人は、本件は庇を巾一〇センチメートル切りとつたにすぎず、切りとつた後も雨にあたることのないようシートで覆うなどの適切な応急措置を施し、完全にあとしまつもしているのであつて建造物の実質を害していないから建造物の損壊にあたらないと主張するが、瓦や垂木は毀損しなければとりはずしのできないものであつてそれぞれ建造物の一部をなすものというべく、本件の如く庇の花瓦をとりはずし、垂木二五本の先端を約一〇センチメートルそれぞれ切りとつた行為は、それが建造物の本来の効用にさほど重大な影響を与えないものであつても一応本罪にいう建造物の損壊に当るものということができる。

三、ところで前掲各証拠(中略)を総合すると左の事実を認めることができる。

(1)  被告人が代表取締役であり、事実全権を握つている株式会社八神建設は前掲公訴事実のとおり常川建一から鉄筋コンクリート四階建のビルの建築請負を依頼され、昭和四三年一一月二三日に着工したが、その日被告人と常川は工事場の前後両隣り約一〇軒にあいさつまわりをし、長瀬一行宅へも行つたところ、その時は同人が不在であつたので家人にあいさつをして帰つた。

(2)  翌日ごろ、被告人は長瀬と同人宅において話合い、四階のビルを建てるについては境界線から出ている庇の部分を切りとらなければならない、といい、その翌日ごろにも常川や高見義一と共に長瀬宅をおとずれ、右の境界線や庇の問題について長瀬と話合い、結局長瀬も、境界線を出ているものであれば切りとることを認める旨答え、被告人が切りとる程度、方法(庇の垂を約一〇センチメートル位切りとる)や、その跡仕末として雨が入るのを防ぐため上にふたをする旨の説明をして了解を求め、長瀬も測量士の測量によつて同人宅の庇が境界線から出ていることを納得した上、右措置に同意した。

(3)  その後被告人が工事をすすめ、地面を掘り下げていくうち、長瀬は自分の建物の土台が沈下する、と抗議を申入れてきたが被告人としては沈下しないようにいくつかに区切つて掘り、突つかい棒をかい、すぐコンクリートを詰める、というように、全部を一度にやらずに手数をかけ少しずつ固めていくという方法をとつていたので土台沈下のおそれは少なかつたし、また事実沈下してもいなかつた。

(4)  右以外にも長瀬は被告人に対し左のような工事妨害の行動に出た。

1  四階建のビルを建てられたら日が入らない、電気をつけはなしにしなければならない、その他もひつくるめて三〇〇万円か四〇〇万円補償せよ、と要求した。

2  工事をしている人夫に、「石ころ一つ投げるな」「俺の家にさわるな」等ささいなことにも文句をいうので、揖斐の百姓でおとなしい人夫がその度に帰つてしまつて仕事にならない。

3  県庁へ建ぺい率違反を申立て、交番へやかましい、といいにいつた。

4  工事中、下水管が破損し、下水が流出した時、警察や保健所へ「うちは井戸水をのんでいるのにどうしてくれる」といいにいつた。

5  長瀬の家が傾いたり、土台が沈下したりしないように被告人の方では(昭和四三年)一一月二八日から同月三〇日ごろにかけていわゆる養生工事(障壁などして土くずれなどを防ぎ、周辺を保護する工事)をしており、長瀬もその事実を知つているのに、これを秘し、あたかも右養生工事がなされておらず、家が傾いたりする危険があるように偽つて同年一二月一二日ごろ建築工事中止の仮処分を岐阜地方裁判所に申請し、同日右事実を真実と誤信した裁判官によつて右仮処分決定がなされた。なお、右仮処分執行は被告人が基礎コンクリート打ちに生コン車四〇台分を手配し、うち一五、六台分を打つたときになされたのであるが、生コン車は一、二時間もすれば硬化してつかいものにならなくなるのに、長瀬は右手配の事実を知りながらこの時期に仮処分の申請をしたのである。

(5)  鉄筋コンクリートの建物を建てるとき、敷地上に他の建物の庇が突出して邪魔になれば、ふつうこれを切りとるよりほかに方法がないし、被告人も建築業者としてこのような庇を何回も切つたことがあり、まだ一度も切ることに反対されたことがなかつた。

(6)  右(2)や(5)の事実から、被告人は工事の進展に応じて必要な時期には境界線から出ている部分の庇を切りとることが許されるものと考え、人夫や資材を手配し、工事の手はずを整えていたが、工事を進めなければ前記の生コンなど資材を無駄にし、人夫にはそれだけ余計に資金を支払わねばならず、また紛争の解決が長びいて人夫をかえせば人手不足の折から再度工事に必要な人夫を集めることが困難であつて、このままでは被告人に財産上、信用上莫大な損害を与えることが必至であつた。

(7)  そこで被告人は仮処分の執行がされたのに工事をつづけ、昭和四四年一月八日、二階をつくる段階に至つて現実に本件庇が邪魔になつたので、本件公訴事実のとおり花瓦を取り外して垂木の先端を切断した。被告人は長瀬との間が険悪となり、この段階では同人が右行為を承諾していないことはわかつていたが、前記のように当然切りとる筋合のものである上に、長瀬がいつたんは切つてよいというような態度であつたことからこれを敢行したのである。

(8)  右のように庇を切りとつた後、被告人はとりあえずシートを張つて雨が入らないよう予防措置をとり、その後、工事の進行にあわせ、瓦を揃えて敷き、さらに鉄板をかぶせた。

四、以上の認定事実によつて本件が弁護人主張のように正当行為にあたるか否かについて判断する。

まず、本件は長瀬一行所有の建物の庇の一部分が、境界線を越えて常川建一所有の土地上に突き出しており、これが被告人(正確には被告人が代表取締役である会社)が常川から請負つて右土地上に鉄筋コンクリート四階建ビルを建てることを妨害していたのであるから、右庇の突出によつて被告人の権利が不法に侵害されていたということができる。

次に前記三の(6)(7)記載のような事情からみて、昭和四四年一月八日ごろの時点においては、ただちに本件右障害を除去し、それまで進めてきた工事を続行しなければ、被告人のような小規模な業者にあつては事業の継続上回復すべからざる損害を蒙るおそれが大きかつた、とみるのが相当であつて、まさに緊急の措置を要する事態にあつたということもいえる。

もとよりかかる障害は本来当事者間の話合いによつて、あるいは強行手段によるとしても適法な手段によつて除去することが望ましいのはもちろんであるが、しかしながら前記三において述べたような長瀬の態度からみて、本件においては早急に話合いが成立することは期待できなかつたし、また、適法な強行手段といつても現状においてはその迅速性において期待にそいえないことが明らかであつたから、本件において被告人がかかる実力行使に出たことにも無理からぬ面もあるといえよう。

そして被告人のとつた手段たるや、公訴事実のとおり本件境界をこえて突出している部分の庇の垂木二五本の先端をそれぞれ約一〇センチメートル切りとり、その部分の花瓦をとりはずしたに止るもので、自己の権利実現のために必要な程度をこえてはおらず、被害者たる長瀬に対してもかかる行為をしなかつた場合に蒙るであろう被告人の損害に比してはるかに軽微な損害しか与えておらないし、また切つた後には前記三の(8)記載のとおりの修復措置をとつているのであるから、終局的に被害者長瀬の蒙つた損害は更に軽微となる。

しかも長瀬は当然同意すべき庇の切りとりに同意せず、かえつて前記三の(3)(4)記載のように種々被告人の工事を妨害する行動に出ていた。

以上を総合すれば本件公訴事実の被告人の行為は不法かつ緊急な侵害から自己の権利を守るためなした行為であつて、その目的や手段からみても相当であり、その他諸般の事情をも考慮すれば自救行為として社会正義上許されるものというべく、従つて刑法三五条によつて違法性が阻却されるものということができる。

五、以上によつて被告人は無罪であるから刑事訴訟法三三六条により主文のとおり判決する。

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